自己紹介  part4

5人兄弟で育った私、2番目ということもあって兄弟の中ではかなり威張っていた。
妹や弟は絶対服従を強いられていた。
確か、中学2,3年の頃だと思うが力道山というプロレスラーが全盛なりし頃、4つ年下の弟とプロレスごっこをよくした。

男の子とはいえ、4つ違うと私には勝てない。
今から思うとプロレスごっこと言いながら、「いじめ」にちかいものが
あったような気がする。

しかし、弟が中学生になった時からピタリと止めた。
モチロン、体力的に敵わないことが明確になったからだ。
それと、負けることによって権威の失墜するのを恐れたこともあった。

こんな私も小学生の時から何故か先生に名前を呼ばれるだけで恥ずかしくて顔が赤くなり、穴があったら入りたい様な気持ちになり意見も充分言えず、こんな自分がとても嫌でした。

それが大人になってからも続き、コンプレックスの塊のようなわたしでいた。

ですから人様の前で喋るなんてとんでもないことです。
しかし、今の私しか見たことのない人は、誰も「信じられない」と言います。

私の人生、なにが起こったのでしょう?








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自己紹介  part3

終戦後間もなく生まれた私は、食料も充分なかったはずなのに効率よく成長したらしく、この年代にしては背がよく伸びた。

私の成長につれて衣類を調達するのも至難の技、金も物も無い時代、着るものにも事欠く有様、

しかし、そんな中母は偉かった。
嫁入り支度で持たされた着物を一部は食料を買うために換金し、一部は子供の洋服にした。

だから、私の小さい時はとても綺麗な柄の服を着ておしゃれだったようだが、そのおしゃれも長くは続かない。

原因は、私の遊び方に問題があった。

男の子と期待されただけに遊び方は男の子。

行ってきますと言って、帰ってきた時には片方の袖はチギレ、ボタンは欠けており、洋服全体が汚れており、どんな遊びをしたかは一目瞭然。

元気良く「ただいま~」の一声。
私を見た母、母は何も言わず。
暫くして、「はよ、手を洗って、ご飯をたべや~」(これは名古屋弁のイントネーションでないと分かりにくいかも?)

その時、少しは胸も痛んだかも知れないが、その後もこの遊びは続けたらしい。